2015-10-12

第66回美学会全国大会@早稲田大学のメモ


第66回美学会 全国大会@早稲田大学





早稲田美学会午後のシンポジウムは、金子くんの生録の発表が非常に面白かった。
70年代日本における「聴覚性(集団が共有する聴取の技法あるいは音の文化、みたいな意味)」について、対象とそこから観察できる議論について要所を押さえた丁寧な議論だった。文章化しておいて欲しい。
生録活動の系譜の起源のひとつに「ステレオ録音の普及」にある、というのは、Living Stereo 所収のスターン論文がいっていることらしいが、なんか腑に落ちない。あと、「アマチュア写真撮影」とかとの「形態学的類似」をどう指摘できるのだろうなあ、と思った。

終わってから居酒屋に行って、シンポジウムで行われたそれ以外の本格的な哲学的な議論を僕が驚くほど理解できなかった原因について、もろもろ考えることができたのは有益だった。関心の水準がどのように異なるか、ということなんだが。

あと、デュビュッフェの発表で「アールブリュット」は「アウトサイダーアート」ではない、という話が僕にとっては啓発的だった。デュブュッフェが、なぜ、1961年に「musical experiences」を録音したのか、何となく分かった。これは、グループ音楽との奇妙な同時代的アバンギャルド、とか、視覚芸術家による音響芸術の先駆的な開拓、とか考えるよりもむしろ、デュブュッフェにとっての「アールブリュット」の試みだ、と考えるのが良いようだ。

あと、「アナログ写真ではなくデジタル写真というフォーマットの変化」について考えるためのモデルとして、スターンのMP3研究の訳出を待ち望む人々が、写真研究者のなかにいるらしい。写真研究においては、どうしても「内容」に関する議論に引き摺られてしまうらしいので。

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そして帰り道、ジーパンがまた破れた。繕いものするぞー

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美学会全国大会二日目。伊藤亜紗さんの「障害と美学」はとても啓発的だったし、また、誰しも「障害」については一家言あると思うので(あるよね?)、色々疑問を誘発されて面白かった。

フルクサスの発表、なくなったんだよねー。
松谷くんの「映画映像における食」の話が、やたら風呂敷を広げていてなんだかよく分からなかったのだけど、"人間中心主義的な世界観みたいなものを超えたもの"とやらを目指して進んでいるらしく、その野心的で前向きな姿勢に大変感心した。
発表以外の場所でもなんか色々な人と話をしたけど、"感性論について語る際に、歴史的な語り口を採用しない、抽象的で哲学的な議論"は、どういうエートスから始まるのか、という話を聞けたのが面白かった。
北村先生(オトート)が、今やもう58ってのにビックリした。勝手に、僕より8,9才上の人、って思い込んでいた。
あと、懇親会とかで話したすべての関西のコーハイたちに、「横国の中川克志さん/中川克志先生はオシャレでカッコよくて賢い」とさりげなくツイッターで呟いておくように、と伝えておいたのに、先ほどエゴサーチした限りではそのようなツイートが見当たらない。
けしからん。

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美学会三日目。
馬場省吾(横浜国立大学)「刀根康尚の音楽活動についての解釈と位置付け」は無事終了。80年代以降の刀根の展開を位置付けようとしたもので、短い時間だったし、まあ、よろしかったのではないか、と。
60年代の刀根について蒐集した情報の活用は、修論の課題ですな。

ひとつ前の高倉さんの黛敏郎の発表は、大変丁寧で感心しました。黛敏郎のカンパノロジーの音響作成において、1948年の山下啓治「実験音響学」という論文が活用された、という話が面白かったです。

今日の祝日月曜日、早稲田は授業日でした。15回確保したからって授業の質が担保されるわけないと思うけどなあ。あるいはそもそも、「質の担保された授業」って、正直、どんなものか想像がつかない。

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